好きなものは、自分で決めるので

私にとっての良いものを表現してくれる作品を愛でるブログ。

今後のブログ(タイトルを変えて続けます)

このブログを書くのも、約1カ月ぶりになってしまった。
その間にも、映画を観たり、本を読んだり、音楽を聴いたりしていたけれど、緊急事態宣言にあわせて、1か月だけ休んでみた。

ここへ書くことは休んでも、作品に対して、日常に対して、様々な感情は去来し続けるので、今後はどうやってこれを整理していこうかなどと考えたりしていた。

私がここに書いてきた作品(つまり好きで愛でている作品)は、いろいろとしんどい世の中でも存在するあたたかいもの、普通という波にのまれず自分として生きることを助けてくれるもの、生きることを真摯にしている人の美しさなどである。

全く想像していなかったものによって、世の中の生活スタイルがどんどん変わっていくなかで、これからも様々な価値観が現れるだろう。
そのような中、私の大好きな作品たちは、この新しい価値観の中でこそ愛され、多くの人を支えていくような気がしている。

なので、今後も愛する作品があれば、ここに書いて残しておきたい。
今までは、週1回など期限を設けていたけれど、今度は自由気ままに。
心機一転、タイトルも変えてみる。

もうひとつ、日常的な感情の何かしらを残す場所として「note」を使ってみたいと思う。去年登録はしてみたものの、全然活かせていなかったので、今後はちゃんと使っていきたい。
「思って考えたこと」をまとめておく場所は、この2つを平行して使っていくことにします。

あとは、その他(SNS的なもの)をどうやってまとめていくか。

・テレビを見ていて等、情報に接したときの瞬間的な思いは「Twitter
・可愛いものを集めておくのは「ピンタレスト
・読んだ本は「読書メーター
・観た映画は「Filmarks」

という感じに今はなっているけれど、もう少しそれぞれの繋がりとか、趣味が合う人との交流とか、より良い感じのまとめ方とか、いろいろ考えたい気はする。

ということで、これからどうしようか、ひとまず考えてみました。
読んでくださっている方、本当にありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。

映画:『日日是好日』

心配性なうえ、家が好きなこともあって、この1~2ヶ月は極力外に出ないようにしていた。(職場へはあいかわらず通わざるをえないが…)
とうとう公的に自粛要請まで出たことで、今まで以上に家で過ごす時間が増えそうだ。
初めこそ「この家にいられる時間を有効に楽しもう」と思い、それなりに充実していたのだけど、この1週間ほどは、気づけばコロナの情報を追うことに時間を費やしている。
当たり前だが、ネガティブな情報ばかりで、特定の年代が名指しされて注意されることで不満が募り、さらに対応等についての怒りがあちこちから噴出している。
人によって危機感が大きく異なること、どの立場に立つかによって意見がぶつかり合うことなどは、今まで様々な場面で大なり小なり感じてきたが、それがここまで顕在化している状況は初めてである。
東日本大震災の時も似たような気持ちになっていたけれど、その頃よりも成長して視野が広がり、Twitterなどから様々な情報を得やすくなった分、よりいろいろなものが見えている気がする。
その結果、私自身も思うことが山ほどあり、けれどもどうにもできないことも多く、フラストレーションがたまる一方である。
いろいろな立場の人が持つ意見だったり、世の中の仕組みだったりを知ることはとても重要なことだと考える一方で、このままもやもやとしているだけなのは、精神衛生上良くないと思い始めた。
自分の時間や精神状態は、自分でコントロールしていくしかない。
以前も書いたが、今思っていることはきちんと記録してフラストレーションを少しでも解消しながら、このような状態でも減り続けている生存時間をなるべく楽しく過ごしたい。

そう思っていた矢先に見た映画『日日是好日』が、今の自分にまさに打ってつけの映画だったので、ぜひまとめておきたい。
この映画は、典子(黒木華さん)が、近所の武田さん(樹木希林さん)に茶道を習いに行く日々を描いた作品である。

豊かさとは

先日Twitterで、近所の川べりに咲いているたくさんの野草や花の写真をそれぞれの名前と共にアップしている人をたまたま発見した。
「こういうのが豊かさ」というような文面で締めくくられていたそのつぶやきに、私は感銘を受けた。
色とりどりの草花はとんでもなく可愛らしくて、私も今から探しに行って部屋に飾りたいという願望が瞬時に生まれた(だから早く終息しておくれ)。
過去の投稿を見るに、その方は季節ごとの野草や花を収集しているようなのだが、ひとつひとつの名前をきちんと紹介していることも、とても素敵だなと思った。
散歩している時に、花や木の名前をさっと答えられる人をかっこいいなと思っていたし、教養ある大人として憧れる像の一つだったので、なおさらぐっときた。
何よりも、日常的に存在しているけれどほとんどの人が見逃しているものを、きちんと受け止めて愛でるような感受性がとても美しいなと思う。

日日是好日』でも、茶道を通して感受性が研ぎ澄まされていく典子の姿が、とても素敵だった。水の音とお湯の音を聴き分けたり、武田さんが頻繁に変えていく掛け軸から字の意味以上のものを受け止めたり。
この映画は、台詞は最小限、かつおそらく半分ほどが茶道の所作を映しているシーンである。この静謐さがとても心地よく、茶道の魅力を少し体感できた気分になれた。
静謐な時間を過ごすことや、一つのことに真剣に向き合い続けて出会う感覚も、まさに豊かさだなと思った。
今まで自分を満たすために必要なのは、好きなものを把握してそれらを摂取し続けることだと思っていた。けれど、満たす方法はそれだけではない。
情報などを減らし、五感を研ぎ澄ますことで見えてくるもので満たされた自分。想像すると、すごく良い。かっこいい。
先日見たTwitterと『日日是好日』のおかげで、新たな豊かさについて、芯から学んだ気がする。

続けることとは

私は、年々何かを続けることの凄みと重大さを実感している。
そして、何かを続けたことでしか見えてこないものの重みや希少性がとても美しいものに感じられている。(ここはいつかもう少し掘り下げて考えてみたい)
この映画は、まさにこの「続けること」がテーマになっていると思った。
物語の終盤では「すぐわかるものは、一度通りすぎればそれでいい。けれどすぐにわからないものは、長い時間をかけて少しずつわかってくる」という典子のセリフがある。
日々の生活の中で、周りや環境などが変わっていく中で、習慣的に茶道へ通い続けること。その中で生まれた感覚の蓄積でできた唯一無二の芸術作品のようなものを、典子は持っている。それは誰もが触れることも完全に理解することもできない、とても尊いものだ。
こういうものをきちんと持っている人の凛とした姿には、本当に憧れる。
私もそのような生き方をしたいなと強く思った。

 

このような日々でも、豊かさと日常を放棄しない強さを忘れずに。
そんなことに気づかせてくれた映画だった。この時期に見れて本当に良かった。

日日是好日

日日是好日

  • 発売日: 2019/04/24
  • メディア: Prime Video
 

 

ドラマ:『コタキ兄弟と四苦八苦』(野木亜紀子)

今回は、明日最終回を迎える大好きなドラマについて。

楽しみに待つものがある、ということの精神的な影響は計り知れない。
旅行やライブ、遊びの予定を入れるのは、それらを実行するのと同等に、実行までは生きていなければという理由をつくるためである。
それを一生続けていくことによって、私は生きることを続けていられる。

そして、常に楽しみに待つものがあるという状態を日常的にもたらしてくれるものが、テレビである。
それに加えてテレビ番組は、曜日感覚や季節感覚を保つための道具でもある。
録画や見逃し配信で見ることも増えたけれど、オンエア中に見るということの効能を、私は存分に味わってきた方だと思う。
今日はこの番組があるから〇曜日だという思考回路で日々が過ぎていることを認識していたし、『紅白歌合戦』は、観ないと大晦日を迎えた気がしないので必ず観ている。
今の時期だと『オールスター感謝祭』の赤坂5丁目ミニマラソンで、桜の木の下を走る芸能人をテレビ越しに見ることがマストである。(今年はもしかしたら放送がないかもしれませんが)
3月下旬~4月上旬は、自分の意志ではない変化を強いられることが多いので、とても苦手な時期だけれど、この番組を見ることでちょっとだけ心を落ち着かせることができている。

2020年1~3月期ドラマは、結局『コタキ兄弟と四苦八苦』しか見ていなかったけれど、先々の楽しみが中止になっていく現状で、このドラマが心の支えになっていた。
明日で最終回を迎えるが、この3カ月本当にありがとうございましたという気持ちでいっぱいである。
このドラマは、小滝一路(古舘寛治さん)と小滝二路(滝藤賢一さん)が兄弟で「レンタルおやじ」を行いながら、様々な人の生き方に触れていく様を描いたオリジナルドラマである。
まず主演のお二人、脚本家・野木亜紀子さん、監督・山下敦弘さんという面々からして、絶対に間違いないドラマだと見る前から思っていた。
楽しみに待ちながら一話目を見て、その世界観にすぐ魅了された。
正反対の性格である兄弟の愛らしい人間味もたまらなければ、レンタルおやじ代表のムラタ(宮藤官九郎さん)や喫茶店シャバダバ」看板娘のさっちゃん(芳根京子さん)を交えたやりとりも、最高である。
相談を受ける舞台となる喫茶店シャバダバ」に毎週通っている常連のような気分になれ、その世界観にすっかり浸った3カ月だった。
そしてレンタルおやじへの相談者が毎週ゲストとして登場するのだが、その相談者たちも毎回魅力的である。
それは、自分はどうしたいかということを、考えに考えた人だけが持っている意志が伝わってくるという点における魅力である。
脚本家の野木さんは、『アンナチュラル』『逃げるは恥だが役に立つ』『獣になれない私たち』などを手掛けた日本のドラマ界を牽引する方だ。
全ての作品を見れているわけではない(とても見たい)けれど、野木さんの作品の根底には、常に「一人ひとりの意志を伝える」という軸があるような印象を受けている。
世の中の普通よりも、個人としてどうしたいかを重視していいのではというメッセージを感じる。
コタキ兄弟は、相談者に対して反論したり理解に苦しんだりしつつも、話を聞いて行動をするうちに、その相談者の意志を汲み取って背中を押してあげるような役割を果たす。
この塩梅がまさに理想的で、とても心地いい。
安易な共感でもなく、人格否定でもなく(否定しても、きちんと謝って見直す)「共感できなくても、理解はしあえる」という人間関係の理想が体現されている心地よさだ。
今までのドラマは、世の中の普通というテンプレートに基づいたキャラクターが登場するものが主流だったように感じている。
しかし、私の敬愛する坂元さん作品や野木さん作品のようなドラマが増えてきて、日本ドラマ界を牽引し始めていることが痛快である。
自分らしく生きることを否定されない世の中、というよく考えればその方が正常だろうという世の中へ日本を牽引してくださる存在として、4月からのドラマ『MIU404』も非常に楽しみにしている。

最後に『コタキ兄弟と四苦八苦』で大好きな要素として、主題歌のこともぜひ書いておきたい。
オープニング曲であるCreepy Nuts「オトナ」は、とにかく癖になる。
オープニング映像では、喫茶店シャバダバ」内で、Creepy Nutsのお二人が演奏して歌う姿と共にコタキ兄弟とさっちゃんが踊りまくっている。
ここ数年で、一緒に踊りだしたくなる映像No.1である。歌詞や曲調は、大人としての四苦八苦というか明るいものではないけれど、流れていたら自動的に踊らされる魅惑的な曲である。この3カ月間、ふとした時に、曲と映像が頭の中で再生され続けていた。
エンディング曲のSTARDUST REVUE「ちょうどいい幸せ」は、物語終盤の心地よさにあまりにもマッチしていて、今週も最高だったなという余韻を最大限に残してくれる。
これらをドラマ内で聴けるのも明日が最後なのかと思うと寂しいけれど、明日を楽しみにしながら今回の記事を終わりたいと思います。

本:『流浪の月』(凪良ゆう)

今回は、前評判で気になっていた作家さんの本を読んでみた。
物語としてかなり面白くて読み始めたら止まらない、とても読みやすいのに重厚なメッセージがこれでもかというぐらい胸にささるという素晴らしい本だった。
2020年本屋大賞にノミネートされているのも、大納得である。
今回のノミネート作は、今のところ『流浪の月』と『夏物語』の2冊しか読んでいないけれど、今までの「普通」に対する壁を壊すようなものが世の中で求められていることをひしひしと感じる。
(私がそういう作品を好んで注目しているからそう思うのかもしれないけれど)あらゆるメディアにおいて、最近話題になるような作品のほとんどが、今までの「普通」に対するカウンター的な作品である。
これには、普通の中に生まれるものの素晴らしさは語り尽くされてきたから、という理由もあるかもしれない。
けれどもそれ以上に、SNSなどの発信によって、いわゆる普通から外れていると思われてきた人の声が顕在化している影響が一番大きいのではないだろうか。
誰かの勇気が、同じような環境にいる誰かの安心や共感の声を産む。その新しくできた輪を好奇心や物珍しさで外側から見ていた人も、だんだんとその状況に慣れていく。
さらに、社会が多様性を推奨しているという追い風まで吹いている。
自分の意思で、自分が心地よいと思えるような生き方で生きていくことを良しとする世の中にどんどん近づいていると感じる今日この頃である。
そして今回紹介する『流浪の月』のような良質な作品が、そういう生き方をどんどん広げていってくれることが痛快である。
この本はネタバレ無しで読んだ方が面白い本だと思うので、この作品で特に気に入った点を抽象的に2つだけ書かせて頂きたい。

1.様々な立場の人を書くことで、中立的な作品になっている

この本は、主人公の女性[更紗]と男性[文]をとりまく様々な人との関わりが丁寧に書かれている。
「事実と真実は違う」ということが、この本における大きなテーマになっているが、更紗と文はこの違いを理解されないことで、大いに傷ついていく。
しかし彼女らは、傷つきながらも、理解されないという事実に理解を示そうとする。
それでも、理解されていないうえでの優しさを受け止められず、また傷ついていく。
『流浪の月』では完全なる悪人がほぼ出てこない。
弱い面・優しい面・ずるい面など一人の人間が持ち合わせている様々な面が、時と場合によって表出される。
人の多面的な部分を良くも悪くも理解してしまう主人公たちの視点で読むからこそ、その視点ゆえの苦痛と苦悩を味わいながら、その関わる相手の心情も慮ることができる。

2.人の繊細な面が真正直に書かれている

上記のとおり、『流浪の月』では、一人の人間の様々な面のうち、弱さについてもしっかりと書かれている。
特に、主人公の更紗と文については、「あの時こうしてれば良かったのに」と外から言うことは簡単で、本人もどうすればいいかを分かっていて、それでもどうしてもできないというような状態に陥っている。
こういう状態は、大なり小なり多くの人が経験していると思うけれど、どんな人にとっても本当に苦しい状態であると思う。
この苦しさを扱った作品として『ダンス』について以前書いたけれど、同じようにこの部分を丁寧に書いた作品として、記憶の大事な部分に残しておきたいと思った。

また、(特に終盤の)悩みについて考えすぎた結果の行動や言動の書き方については、驚愕した。
これは私にとっては覚えのある思考・行動回路であり、今まで『女子をこじらせて』(雨宮まみさん)で同じように驚愕した覚えがあるけれど、小説内にてこのような形で提示されることは、ありそうで実はあまりないような気がする。考えすぎるということについて、考えることができる作品だと思った。 

 

今回は以上となります。
凪良さんの他の作品も読んでみたい。ので読んでいこうと思います。

流浪の月

流浪の月

  • 作者:凪良 ゆう
  • 発売日: 2019/08/29
  • メディア: 単行本
 

 

音楽:『宮本、独歩。』(宮本さんソロ)から入った人へのエレカシおすすめ曲

半年以上前に宮本さんの記事を書いたけれど、先週いよいよソロでのファーストアルバムが発売された。
アルバム総合iTunesランキング1位になったり、数々のテレビ番組出演で大活躍されたりなど、宮本さんの魅力がより多くの人に伝わってきている。本当に、本当に嬉しい。
Twitterにて恥ずかしくなるぐらいの熱い思いを書いているので、ここではそういうことについてはあまり書かない(結局、曲紹介でいろいろ書いてしまったけれど 照)。
ここでお伝えしたいのは、「ソロでの宮本さんに興味を持った人へ向けた、エレファントカシマシおすすめ曲」だ。

宮本さんのソロから興味を持った人は、当然エレカシが気になってくると思うけれど、何せ30年以上ほぼ休止することなく活動し続けているバンドなので、曲数が多い。
最終的にどっぷりはまった人は全曲を聴いていくことになるかもしれないが、まず何から聴けばいいのか、迷う人がほとんどだと思う。
『今宵の月のように』『悲しみの果て』『俺たちの明日』などの有名曲については、すぐに見つけられるかもしれないが、(有名曲がとんでもなく名曲なのは言わずもがなで)「ソロで気に入った曲と似た雰囲気の曲を知りたい」という方もいると思う。

宮本さんは、その時の自分の思いを歌詞に示しながら、表現活動を続けている方である。年齢を経て変化していく価値観、一方で変わらない軸の部分、その時々での環境下における心境などが各曲から伝わってくるため、聴く人の心境や気分にあったものが必ず見つかるはずだ。
そして、音づくりの面でも様々な挑戦を続けてきた方でもある。
バンドのみで表現したり、プロデューサーを変えたりなど、音づくりなどに全く詳しくない私でも、アルバムごと(そしてレコード会社ごと)に異なる雰囲気を感じ取ることができる。

今回は、「ソロのこういう部分を気に入った人は、この曲もきっと気に入るんじゃないかな」という楽しい妄想を書かせて頂きたい。
完全なる独断と偏見によるものとなりますが、一つの参考としてぜひご覧下さい。
※『曲名』(収録アルバム名(アルバム発売年))にて紹介します。

冬の花』のような、せつない中にも力強さを持つ雰囲気の曲を聴きたい方へ

『さらば青春』(sweet memory~エレカシ青春セレクション~(2000年))
歌詞と曲調がシンプルでありながら、とても胸がしめつけられる一曲。
この曲はオリジナルアルバムには入っていないので、ベストアルバム(セレクションアルバム?)をご紹介。

そもそもこのアルバム自体がせつなさの塊。このアルバムの最後『sweet memory』から『武蔵野』への流れは、反則的に美しい。

『曙光』(エレファントカシマシ5(1992年))
冬の花』と関連させて紹介するべきか迷ったけれど、この曲が持つ力強さに似たものを感じるのでご紹介。

初期エレカシ(エピック時代)の名曲。とんでもなく渋い。こういう曲を創れるうえ、曲自体の強さを完璧に表現できるエレカシの凄みが伝わる曲。

Do you remember?』のような、バンドのかっこよさを感じる曲を聴きたい方へ

●『生命賛歌』(俺の道(2003年))
私の愛する東芝後期のアルバム『俺の道』より。
もう、聞けばすぐ分かります。めちゃくちゃかっこいい。
古墳のことを歌っているという点も含め、最高にかっこいい。

『RAINBOW』(RAINBOW(2015年))
最初に聴いた時の衝撃たるや。

50歳目前、まだまだ戦い続ける姿に心打たれた。
ライブでは音源よりもテンポアップしていて、こちらもすごくかっこいい。

『獣ゆく細道』のような、研ぎ澄まされた孤高の雰囲気を感じる曲を聴きたい方へ

この曲は、椎名林檎さんによる作曲・作詞ですが「その人物(宮本さん)がこれまで発して来たメッセージを、この曲の中で一度、私なりに要約できないだろうかと考えた」と曲の発表時にコメントされている。
つまり林檎さんの思う宮本さんを曲にしたということで、おこがましいながら、私も近いものをおそらく感じていて、書きたいことが山ほどある。
そう考えると、この曲だけでいろいろ考察した方がいい気もするけれど、今回は一曲のみご紹介したい。

『俺の道』(俺の道(2003年))
このアルバムは、歌詞を読みながら聴いてほしい。

言い方は難しいのだけれど、90年代後半にヒット曲を出した後に、こういうことを考えながら生きていた人だからこそ、私は宮本さんを敬愛してやまない。

『夜明けのうた』のような、温かく寄り添ってくれる人生賛歌を聴きたい方へ

●『四月の風』(ココロに花を(1996年))
これからの季節にぴったりなので。
やさしく爽やかな曲で、本当に四月の風を浴びている気持ちになる。
自然と、ここから始めようという気分になれる一曲。

●『シグナル』(町を見下ろす丘(2006年))
ひたすらに美しい悟りの曲。
曲・歌詞とも、まさに宮本さんにしか書けないと思う。
上記に同じことを書いたけれど、こういうことを考えながら生きている人だからこそ(以下略)

『ハレルヤ』のような、頑張ろうと背中を押してくれる曲を聴きたい方へ

●『何度でも立ち上がれ』(DEAD OR ALIVE(2002年))
最近の宮本さんは頑張ろうと背中を押してくれる曲が多いなと思っていたけれど、考えてみると、エレカシにはそういう曲がたくさんある。

主に、頑張ろうという他者への投げかけというよりは、俺は頑張るという自らの決意を託した曲だ。その結果、それを聴いた私たちが大いに鼓舞されることになる。
『何度でも立ち上がれ』は、そういう曲の力を感じられる一曲である。

●『桜の花、舞い上がる道を』(昇れる太陽(2009年))
この曲は知っている方も多いかもしれないけれど、紹介させてください。
曲の壮大さと歌詞がぴったりマッチした曲。
この曲を聴くと背すじがぴしっと伸びる。
私的桜ソング圧倒的一位。

 

ひとまず、以上となります。
上記のカテゴリにはおさまらないけれど、紹介したい名曲は他にもたくさんありますが、今回の記事がエレカシを聴き始めるきっかけとなると幸いです。

 

映画:『かもめ食堂』

当たり前だけど、未来はつくづく予想できないなと思う。
今年の初めには、こんなことになると思っていなかったような状態が続いている。
楽しみにしていたことが、次々と中止になる不安をかかえている状態が続き、そして、実際に無くなってしまった悲しみがどんどん増えている。
もちろん、中止されたことに対する恨みというわけではない。
ウイルス発生自体は免れないことで、それを防ぐための対策を施すのは当たり前だ。
自分を含めて世の中が混乱状態であることや、そのような状況で動く・動かない、自己判断できる・できないことの連続に振り回される疲弊が蓄積されている。
まだ渦中にいるけれど、世の中の仕組みだったり、自分の気力を支えているものだったり、先週から今週にかけて、いろんなことがより明確に見えてきた。
外的要因・内的要因に関わらず、これからいろんなことが起こり続ける中で生きていくのは止められないので、自分で自分を守るために必要なことを考えながら、どうにか生きることを乗り切っていきたいと思う。

今回のような外的要因の場合は、情報を得てできる対策を続けながら、日々の心持ちが不安や悲しみに蝕まれないようにするしかない。
旅行・ライブ・可愛いもの鑑賞など、外に出ることで得られるものが、いかに自分の気力を支えているかに改めて気づいた。
けれど幸いなことに、家の中で気力を支えてくれるものも、たくさんある。
とにかく気分を落ち着かせたい時には、ゆったりとした映画を観るのが一番なのではと思い、『かもめ食堂』(2006年)を観た。
フィンランドの首都・ヘルシンキで、日本人女性サチエ(小林聡美さん)が日本食の食堂を開店し、様々な人と交流しながら、ささやかな日常を送っていく話だ。
私は、中学の時に雑誌でmarimekkoのベッドカバーを見かけた時から、フィンランドに強い憧れを抱いている。
高校の時には高福祉国家であることを知り、住みやすそうだとさらに印象を良くしたけれど、その好印象の極めつけが、大学の時に見た『かもめ食堂』である。

私の知っている中では、ていねいな暮らしを表現した元祖的存在の映画だ。
ていねいな暮らしは、何か良い。
送れていなくても、観るだけでも良い。癒されて、心が安らぐ。
ていねいな暮らしとは、何をもって判断されるんだろうと考えた。
おそらく、
・時間に対する焦りがない
・習慣的な行動があること
・何かをつくることに向き合う姿 がそのような気持ちにさせている。

ていねいな暮らしとは、文字通り一つ一つの行動をていねいに行うということである。時間をかけて、一つの行動だけに向き合う。
そのような暮らしのもとでは、時間がないという焦りが消え、物が所定の場所にきちんと戻ることだろう。私にとっては、すでにハードルが高い。
せめて休日だけでも、だらだらするという意味合いではなく、時間に対する焦りを無くす暮らしをしたいものだ。
そして「習慣的な行動がある」ことも大事なように思えた。
かもめ食堂』のサチエは、毎日自宅で合気道の型を行い、プールにも定期的に通っている。日々自分の体に気をつかっているという状態は、自分へていねいに向き合っていることの何よりの証明であるように感じた。
私は、村上春樹さんの小説に出てくる生活の繰り返し描写(レコードを聴いたり、トーストを食べたり)がとても好きだ。これも1日限りではなく、日々繰り返されているという事実に心地よさを感じる。
石田ゆり子さんのインスタグラムでも、一緒に暮らす犬や猫の様子・テーブルで書きものや読みものをしている様子が定期的にアップされており、各々の掲載はもちろんのこと、何よりもそれらが繰り返されていることに癒される。
ていねいな暮らしとは異なるけれど、私がドラえもんのような作品に感じる心地よさも、お約束の展開が繰り返されることへの安心感がもたらしている。
習慣・繰り返しの効能は、存分に活かしていきたいものの一つだ。
最後に「何かをつくることに向き合う姿」である。
かもめ食堂』では、食事を作る場面、それを食べる場面が物語の半分ぐらいを占めている。
そもそも私は、何かをつくっている人を見るのがとにかく好きなので、その時点でこの映画は問答無用でお気に入りとなる。
工芸展などで職人さんがものづくりをしているのをひたすら見続けるのもたまらないし、滅多に行かないけれど、バーでカクテルを作っている人を眺めることにも心地よさを感じる。
ここでふと思ったけれど、料理番組には実用性は感じるものの、心地よさは感じない。
「基本的に無言であり、つくっているものの音だけが聞こえてくること」が、心地よさを誘引するようだ。
音に心地よさを感じているという側面もあるし、先述した「時間をかけて一つの行動だけに向き合う」というていねいさにも繋がってくる。

このような心地よさを味わえる『かもめ食堂』だけど、妄想だったり現実的ではない場面だったりが、何度か盛り込まれている。
それらも心地よさに一役買っているのが、また良い。
こういうこともあるよねと、全てをすんなりと大らかに受け入れられる感じなのだ。
すべてが理想的で、この世界観に住みたいと本気で思う。
心がざわざわした時に助けてもらう映画として、これからも大事に観続けていきたい。

かもめ食堂

かもめ食堂

  • 発売日: 2016/06/29
  • メディア: Prime Video
 

 

本:『本の逆襲』(内沼晋太郎)

こうやって本などを紹介するブログを書いているし、今まで何度も書いてきたけれど、私は本が好きだ。
そして、本の本を読むことも、とても好きだ。
私の好きな本の本には、二つのパターンがある。
一つ目は、ブックガイド的な本。
小説家や書評家の方が読んだ本を紹介する本を読むのも好きだし、WEB本の雑誌『作家の読書道』(http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/)は定期的にチェックしている。
その作風に至るまで、つまりそのような思考に至るまでの経緯を知ることができるのも興味深いし、面白そうな本をこういうところから探すことも多い。

二つ目は、本自体について考える本である。
今や世間の常識のように言われている「本の売り上げが年々落ちている」「本を読まない人が増えた」ということに対して、どう分析しているのか知りたいという理由で読んでいる。
そして、こんなに良いものをなぜ買わない・読まないという、推しの良さがわかってもらえないもどかしさに近い思いで、その良さを理解してもらうための方法を探るべく読んでいる部分もある。
また、何かひとつのことに興味を持つと、それを取り巻く構造自体に興味を持つ性分なのも大きい。
そんな理由で、私は本・出版業界・本屋・図書館にまつわる本などをいくらか読んできた。

そのようにして読んできた中で、私は今回紹介する内沼さんの考え方がとても好きで、共感している。
内沼さんは、ブック・コーディネーターとして、異業種の書籍売り場のプロデュースや書店・取次・出版社のコンサルティングなど本にまつわるあらゆるプロジェクトの企画を行いながら、下北沢で本屋「B&B」という新刊書店の経営もしている方である。
これまでの活動を含め、それぞれの活動がとても面白く、本が好きな人ならば問答無用にわくわくする内容になっているけれど、今回はそういった全ての活動の根幹にある本にまつわる考え方について、共感したところをまとめておきたい。

本とは何か

この本では、本の定義を拡張して考えることを前提としている。
紙の本や電子書籍はもちろんのこと、書籍化されることもあるTwitterなどの発言、トークショーなどはすべて本といえるのではないかと書かれている。
さらにゲームソフトも本だし、本の定義を「本棚に差せるもの」と拡張すれば、カレー(の箱)だって本であると表現できるとする。
「本はもはや定義できないし、定義する必要がない。本はすべてのコンテンツとコミュニケーションを飲み込んで、領域を横断して拡張していく」というのが、内沼さんの考えだ。

コミュニケーションの時代における本とは何か

SNSでコミュニケーションをとるなどインターネットをコミュニケーションツールとして使っていること、ネットニュースサイトがSNSなどで「いじられる」(その結果、アクセス数を稼ぐ)ことを志向して作られていることなどを例に出しながら、人々が「コンテンツよりもコミュニケーションそのものに熱狂している」と書かれていた。
そのような中、本とインターネットとが接続することにより、そのうえで読者同士がコミュニケーションする「ソーシャルリーディング」というコンセプトが書かれていた。
インターネット上に溢れる書評・本棚サービスや、『AmazonKindle』のハイライト機能(電子書籍上で気になる箇所に蛍光ペンで線を引く機能、どこに何人が線を引いたか表示される)が例として挙げられていた。

 本屋とは何か

「書店」とは「空間」、「本屋」は「人」で「媒介者」と考えると、「本屋」は店舗を持たずとも活動できるとしている。
そして、本が並ぶだけで情報発信となるし、新刊書店の平台を見るとそのときの世の中の潮流が分かるため、「本屋はメディア」であるとも書かれていた。

 

このように『本の逆襲』では、本や本屋にまつわる可能性は無限にあることを提示してくれている。
本が好きな人にとって、「本屋をする」ということに憧れを抱く人は多いと思う。
(もちろん私も憧れる)
「本屋をする」というと、店舗経営を本業にすることを真っ先に思い浮かべるため、行動を躊躇してしまうが、柔軟に考えていくと、何かできそうな気がしてくる。
そんな人たちに対し、内沼さんは下記のようなアドバイスを書かれている。

自分にとって「本」とは何か、どうしてその「媒介者」になりたいのかと考えたうえで、一番強い気持ちを持てるようなことを、まずは気軽に、お金にならなくてもいいという前提で始めたほうが、他に誰もやっていない、面白いプロジェクトが生まれやすい

私にとっての「本」というか「好きな本」の定義は明確で、「創作者が人生に真摯に向き合ったことで見えてきた価値観・考えが現れているもの」である。
そう考えると、そのような映像作品や歌詞、美術品などは本だといえる。
つまり、このブログで紹介し続けているものは、すべて私にとっての大好きな本ということになるので、ここは「私の大好きな本だけを置いている本屋」といえるかもしれない。

ここでもう一つ考えたいのが、本をコミュニケーションツールとすることについて。
今は、①創作者から話をじっくり聞く講演会タイプのコミュニケーション、②聞いたことを人に話すコミュニケーション(このブログ)を行っているような気持ちでいる。
これは、両方とも一方向のコミュニケーションである。
私は、①の後に②を双方向で話し合うような読書会タイプのコミュニケーションを行いたいなと思う。
そういうタイプの読書会がネット上で行われていないのか探してみたけれど、探し方が悪いのか、意外にも見つからなかった。
LINEを始めとする連絡ツールとしての役割を除き、現在のSNS上のコミュニケーションとは「一人が意見を表明する → その感想を本人に対して、もしくは独り言としてつぶやく」というパターンが多いことに気づいた。
私は残念ながら参加していなかったけれど、10年~20年ぐらい前のインターネットの方が、チャットや掲示板などで、お互いがぽんぽん意見を出し合うようなディスカッションの場として機能していたような印象がある。
今のSNSは、有名な人や憧れる人を見るためのツールとして、テレビと同じような役割を果たしているようだ。
ディスカッションの場が欲しい、そのためにはどうすればいいだろう、ということを今後は考えていきたいと思う。

本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)