好きなものは、自分で決めるので

私にとっての良いものを表現してくれる作品を愛でるブログ。

映画:『ドラえもん のび太と雲の王国』(藤子・F・不二雄)

今回は、日本で最も有名なキャラクターであろうドラえもんについて。
私にとって「表現物が人を救ってくれる」ことを知った原体験が、ドラえもんである。

 

小学生の一時期、引っ越し先で友達関係に苦労したことがある。
誰にも相談していなかったものの、鬱々としていた私を気にしてか、母親がレンタルビデオ屋に連れていってくれた。そこでひたすら借り続けたのが、ドラえもんの映画シリーズである。

ドラえもんを見ている間は、自分の現状を忘れられた。同じ作品を繰り返し見続けることで、ドラえもんのび太と同じ世界を生きているような心強い感覚にもなっていた。そしてそのような状況から抜け出した頃には、すっかりドラえもんが大好きになっていたのだった。

ドラえもんは、私の大好きな藤子先生が描いたSF(少し不思議)世界の最たるものである。
大人が好きなドラえもんというと、帰ってきたドラえもんなどの感動話ばかりがフィーチャーされる。
しかし私の愛するドラえもんは、SFな日常を繰り返す様の中にある。
小学生の頃に見ていたドラえもん(大山のぶ代さんの声)が私にとってのドラえもんなのだが、当時の作品を見れば、いつでもその頃の皆に会える。
作品の中では、歳をとらないのび太たちが、少しとぼけた感じの愛らしいドラえもんが、お約束の展開でSFな日常をいつまでも過ごしている。
そういうことに対し、私は郷愁のようなものを感じ、心にぐっとくるのだ。

好きな映画作品などは今でもたまに見ることがあるけれど、ドラえもんの映画は本当に高クオリティである。
丁寧に作り込まれながらも子供にもわかりやすい素晴らしい作品だったからこそ、何度見ても飽きず、結果として当時の私を救ってくれたと思う。

 

今回は、私にとって最も郷愁を感じる作品である『ドラえもん のび太と雲の王国』(1992年)の魅力について書きたい。

 

飄々としたジョーク

ドラえもんのキャラクターたちは、「冗談を言っていますよ」という顔で冗談を言わないところがたまらないと思っている。
真顔で、よく考えると辛辣なことを飄々と言っている、というお約束がたまらなく好きなのだ。

今回の映画では、こんな感じ。

帰りが遅いのび太に対し、ドラえもんのひとり言
のび太くんの帰りが遅いなぁ。何かまずいことがあって居残りさせられてるのかなぁ。いつものことながら気になる」

しずかちゃんへ電話をし、図書室に行っていることを驚いてからのひとり言
「一番のび太くんらしくないところだ」

 

ドラえもんだけではない。
のび太も、そしてしずかちゃんも、なかなか辛辣である。
雲の王国でリサイタルしたいと言うジャイアンを「下らない」と一蹴するスネ夫に対しての一言。

しずかちゃん「だめよ、そこまで本当のこといっちゃ」

のび太くん「命にかかわる」

 

雲の上に住むという夢の発想

子どもの頃、憧れるシチュエーションの上位に君臨していたのが、雲の上に住むというものである。
というか、この映画を見て憧れていたのかもしれない。
ドラえもんのび太が、雲の上に建物や自然環境をつくっていく様子をわくわくしながら見ていた。
またこの映画では、テクノロジーの発達した天上世界が出てくる。この天上世界の宿舎にあるベッドは、ボタンをおすと雲のような掛布団が出てくるもので、非常に憧れた。今でも欲しい。
シャボン玉のような乗り物に乗り、浮遊しながら映画を見ているのも羨ましかった。
今でいうVRの進化版のようなものなのだろうか。

 

子ども向けの映画とは思えない凝った設定

前半で何の気なしに出てきた道具が、終盤で物語を大きく動かしたり、お母さんのちょっとした行動が、その後を左右したりなど、伏線が凝っている。
雲の王国をつくるのに株主を募集する、天上世界が州制度で成り立っている、象牙の密漁集団がいる、といった細かい設定も面白い。

また、この映画に出てくる天上人たちは、敵とも友人ともいえない間柄として登場する。
子ども向けの映画では、勧善懲悪の世界を描くことが多い。悪役が悪くなってしまった理由が描かれることはあっても、敵対関係は明確なことがほとんどである。
天上人たちの行動はすべて、自分たちの、そして様々な生物たちを守りたい一心から来るものであり、善悪という視点では捉えられないような話になっている。

そして、天上人・パルパルの姿勢が良い。しずかちゃんたちを敵対視している地上人(地球人)としてではなく、一個人として見ようとするのだ。
それまで見ていたような作品では出てこないフラットな登場人物に、子どもの頃は戸惑った印象がある。
今思えば、こういうちょっとした引っ掛かりを当時感じられたことは、何か大事な経験になったんじゃないかなと思う。

 

映画全体に漂うせつなさ

郷愁感が喚起されるためか、ドラえもんの映画を見る時には、いつも少しのせつなさを感じる。
中でも群を抜いてせつなさを感じるのが、この作品なのである。
ネタバレは避けるが、この映画ではドラえもんが大変な目にあうことが多いので、その悲しさもあると思う。
一筋縄ではいかない問題が提起されていることも、関係しているはずだ。

私にとって、せつなさは嫌な感情ではない。
どんなものよりも心を引っ掻かれるため、苦しいけれど大切にもしたいような感情である。
私と同じような気持ちになるとはもちろん限らないけれど、今までに観たことのある方も無い方も、観た後でどんな感情を抱くのかは気になっている。

 

最後に、エンディング曲『雲がゆくのは…』(武田鉄矢さん)がとてつもない郷愁感を誘う。
エンディングの夕焼けとこの曲がマッチしていて、その印象が強いせいだろうか。劇中では雲の王国で遊んでいる最中など、むしろ楽しそうなシーンで流れているのだが、この曲を聴くと問答無用で一気にせつなさが込み上げる。

他のどんな表現物でも味わえない、それでいてドラえもんらしさもある、唯一無二のずっと大事にしていきたい作品である。

 

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