好きなものは、自分で決めるので

私にとっての良いものを表現してくれる作品を愛でるブログ。

本:『夏物語』(川上未映子)

この作品は、Amazonの作品紹介欄に書かれているように「芥川賞受賞作『乳と卵』の登場人物たちがあらたに織りなす物語」である。
第一部は『乳と卵』を下敷きにしたもの、第二部はその8年後の世界を描いている。
今回は、主に第二部について思ったことを書きたい。

 

第二部では、38歳の主人公・夏子がまだ見ぬ自分の子どもに会いたいと考え、行動することが話の軸となっている。
夏子には彼氏や配偶者がいないこと、そして性行為を受け付けられないことから、精子提供という方法を考え始める。
夏子、母という立場の人々、夏子の行動を介して出会った人々。
そういった様々な人の「親子とは」「生殖とは」「子がいるとは」、そして「生きるとは」について書かれている本である。

 

川上未映子さんの作品に出てくる人は、何というか「生きることにひたすら誠実である人」が多いように思う。自分のおかれた環境に対し、そこをどう生きていくかを、これ以上できないぐらいしっかりと見つめている印象がある。
外側から見て辛い環境だとしても、その環境に悲観的になりすぎることも、楽観的になりすぎることもない。
そのどちらかの感情に振りきれる瞬間もあるが、その根底には諦念とも覚悟とも違う、ただ存在するものを自分の突き詰めた解釈で受け止めるといったニュートラルさを感じるのだ。
共感を得るであろうわかりやすい感情に頼らず、揺れ動く感情を描きながら、しっかりと見つめたものを丁寧に伝えていくような作品を創る川上さんをとても尊敬している。そして共感や物語消費の満足感を超え、思考の中心にずしんと来るような作品を読めることを幸せに思う。

『夏物語』でも多様な考え方や感情を受け取り続け、一冊の本を読んだ後とは思えないぐらい、様々な思いが頭の中を渦巻いている。

 

生きるものを生むということ1(幸せとは)

子どもが生まれる=愛する二人の性行為からできる という式が必ずしもなりたたないことは、この作品において重要な考え方となっている。

子どもが生まれるということには、今のところ以下の4パターンが存在する。
①性行為によって生まれ、誰が父親かわかる
②性行為によって生まれ、誰が父親かわからない
精子提供によって生まれ、誰が父親かわかる
精子提供によって生まれ、誰が父親かわからない
これに加え、「遺伝子上の親」「育ての親」という見方も存在する。

①で遺伝子上と育ての親が一致していること、かつ両親が揃った状態を、私たちは「普通」と呼ぶ。
この本では「普通」ではない状態で生きた人、生きようとする人の幸せな思い出や苦しい思いなどが表現されている。
自分が普通にはなれず、けれども自分の手に入れたいものが普通では無いところで手に入るとわかったら。そこに壁があったとしても、手に入れたいものへの思いが強ければ強いほど、私たちはその壁へ立ち向かうのではないだろうか。
その大きな壁の一つに、意図的でも無意識でも「普通を強要する人」の存在がある。
手に入れたいものがある人の方が、よほどその事象について考え続けているにも関わらず、普通を強要する人は「それが普通だから」という理由だけでその意見を一蹴する。
私たちは、普通でも幸せじゃない人がいるとわかっているし、普通じゃなくても幸せな人がいることもわかっているはずだ。
手に入れるために立ち向かう人の壁となってしまう前に、根強く残るこの「普通」という感覚に、まずは自分たちが立ち向かうべきなんじゃないかと思う。

 

生きるものを生むということ2(子どもが欲しいとは)

この本では、反対に「子どもはいらない」と考える人物も出てくる。
中でも「生まれてきたいなんて一度も思ったこともない存在を、こんな途方もないことに、自分の思いだけで引きずりこむことができるのか、わたしはそれがわからない」「『生まれてみなければわからない』っていう賭けは、いったい誰のための賭けなの?」と述べた女性の意見には、格別の思いを抱いた。

なぜならば、私も1~2年前までは似たような思いで「子どもはいらない」と考えていたためだ。
子どもを育てると想像した時、私はなぜか「思春期の子ども」を想像する。
私にとっての思春期は、楽しいことも人並みにあったはずだが、もう戻りたくない時期でもある。
そして思春期に限らず、いい精神状態で生きていくということは、思いの強さで何とかなるものではない。その人自身の性格だったり、運だったり、どうにかしたくてもできないものによって生活は続いていく。
私自身、我ながら面倒な性格だなと思ったり、ネタになるぐらい運が悪かったりすることもある。だけど楽しいことに貪欲だったり、運よく恵まれるものもあったりして、何とか今を生きている。
でも少しでも何かが掛け違っていれば、生きることをただ苦しいとだけ思い続ける人生になっていても何ら不思議ではない(実際そのような時期もあった)。
私は「たまたま今を生きている」という感覚が強く、まさに生きることは賭けのような気がしてならないのだ。
そんな私が子どもをほしいと本気で考え出したら、それは「自分の人生に変化をもたらしたい」という理由に他ならないと思う。
生まれれば、可愛くてしょうがないと愛情を感じ、過剰なぐらいに心配して過保護になってしまう可能性も高い。
けれどもそんな自分本位な理由で子どもを欲しがるのはどうなのだろうか、という思いがずっとある。
最近はようやく「自分でしっかりと生きている」という自信がついてきたこともあり、たとえ自分本位な理由だったとしても、子どもを育てること、守ることにきちんと責任を持てるかもしれないと思い始めてきた。

今後がどうなっていくかはわからないが、この本を読んで感じた様々な思いは、自分にとって大事なものになった。読むたびに新たな発見もありそうだ。 

 

その他にも、「女性であるということ」「夏子の受けた苦しみ」「精子提供によって生まれた逢沢さんの父への思い」など強く印象に残っている場面がまだまだある。
もうすべての場面がとにかく印象的である。

『夏物語』は、既に世界十数国語以上で翻訳が決まってるらしい。
この物語を読んで世界の人が何を思うのか、そして日本の老若男女は何を思うのか。
一人一人の意見を聴いてみたくなる、本当にすばらしい作品である。

 

夏物語

夏物語